県民公開講座
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講師紹介
高橋義希「夢を追いかけて」
- 生年月日
- 1985年5月14日
- 出身地
- 長野県
- 経歴
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JFC須坂ヴェンセール ― 松商学園高校
2004~2009 サガン鳥栖 加入
2010~2011 ベガルタ仙台
2012~2021 サガン鳥栖
- 記録
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594試合出場/33得点
1試合走行距離14.583㎞の記録は現在でもJリーグ1位を誇る
- 現在の役割
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サガン・リレーションズ・オフィサー
つながりを大切にし、サガン鳥栖とサガン鳥栖に関わる全ての方々をつなぐ橋渡し役
鳥栖市特命応援団長
鳥栖市内のイベントや観光情報、学校訪問などのホームタウン情報を幅広く発信し、鳥栖市の住みよさを始めとした暮らしに関する情報など鳥栖市の魅力を発信
- 出演など
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サガテレビ毎週月曜日 カチカチプレスコメンテーター
CableOne サプライフコメンテーター
NBCラジオ GO!GO!サガン鳥栖出演
サッカーを通して「人づくり・まちづくり・夢づくり」を実現していきたい。サガン鳥栖は単なるサッカークラブではなく、関わってくださる全ての方々の生活を豊かにする存在になっていたい。元Jリーガーであった私が、地域の橋渡し役として走り続ける理由について知っていただけるとありがたいです。
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1. プロサッカー選手としての記録
18歳でプロサッカー選手となり、サガン鳥栖で16年、プロ通算18年の現役生活を経験し2021年に引退。594試合に出場しJリーグ功労賞も受賞。特にハードワークの鳥栖を象徴する選手として1試合走行距離14.583㎞はJリーグ歴代1位として、今もJリーグ記録として破られていない。 -
2. 少年時代のこと
サッカーを始めると思いきや、父の影響で野球を始める。しかし、友だちの誘いを受け、小学3年生からサッカーを始める。4年生の最後には大会出場を果たすことでサッカー大好きになるが、小学5年生の全国出場をかけた県大会で、PK失敗でチームが敗戦する大きな挫折を経験することになる。超がつくほどの負けず嫌いな少年は失敗を克服するために父親と課題へ取り組むことになる。翌年の全国大会県予選決勝。同じ場面を経験することになるが、練習の積み重ねを結果につなげることができ県大会優勝、全国大会出場を達成した。教訓
一、好きな事に出会えた
二、努力と継続の大切さ -
3. 中学時代
また訪れる挫折。地域選抜にも選ばれないという挫折。負けず嫌いであると同時に、人見知りという性格もあり、周囲とのコミュニケーションが取れないことが原因でメンバー外へ。人見知りは克服されないままではあるものの、人生最大の試練の一つ、高校受験は先生の協力を受けながら必死に取り組む。教訓
一、何事も一生懸命やることは大切
二、沢山の方々の支えに感謝 -
4.高校時代。そこから夢が具体的になる。
高校生でもおとずれる人生の挫折。3度目の挫折もメンバー落選。メンバーに入れない理由、何が自分に足りないのか、自問自答を繰り返しながら、自分だけでは克服できない課題に対して後から知った監督の視点。そして上級生が引退した後の高校2年生の冬に「全国大会で勝ちたい」という決意が生まれる。そして、プロサッカー選手になることが夢になった。教訓
一、夢、目標を持つ
二、出会いに感謝 -
5.サガン鳥栖時代
努力することについて考えること。高校卒業して飛び込んだプロの世界。クラブ史上最年少でのキャプテン就任やポジション変更など、目の前に飛び込んでくる壁。一つ一つ乗り越えるために取り組んだトレーニング。そして移籍。厳しい世界の中でも、仲間や地域の方々の温かさに支えられてきた。
座右の銘「感謝」 -
6.サガン・リレーションズ・オフィサー
リレーション=「つなぐ」。サガン鳥栖の理念である「人づくり、まちづくり、夢づくり」のために、サガン鳥栖とサガン鳥栖に関わる全ての方々をつなぐため、サガン鳥栖をより知ってもうため、好きになってもらうため、今まで応援していただいた方への感謝を胸に、サガン鳥栖、地域のために走り続ける。